第143回 氷今昔物語

もう秋「立秋」に入ったというのに連日40度超える猛暑地点が多く出て東京も35度の暑い日が連日続き体力の消耗が激しいです。ラジオ・テレビ等で水分と塩分の補給をこまめにして熱中症にならないようにと注意を呼びかけています。十分に体調に気を配り、この夏を乗り越えてしまいたいです。

荒川区立荒川ふるさと文化館(素盞雄神社となり)で東京「氷」物語の表題で日本初の氷の展示会(8月3日(土)~9月8日(日))が開催されています。氷の歴史や文化、そして荒川区南千住町の下町の氷の生活史などを紹介しています。そのデモンストレーションとしてコツ通り商店会と中央町会子供会とで現在の一般的な氷の食べ方と昭和10年(1935)頃の我が家での氷の食べ方を文化館の前の広場で8月10日(土)に行いました。

今の一般的な電気による機械で作るかき氷を中央町会子供会が担当し、昔の家庭で作っていたかき氷をコツ通り商店会が担当して作り、参加されたお客さまの皆様に試食して頂きました。

70年前頃は現在のように各家庭の冷蔵庫で氷が作れるわけではなく町内の氷屋さんから買ったのです。コツ通り五丁目にあった和田氷屋さん、二丁目の熊井氷屋さん、通新町(現日光街道)みずほ銀行隣りにあった岩崎氷屋さんで買いました。

毎朝、自転車の後ろにリヤカーを付けて、そのリヤカーにムシロをひき、その上に麻の袋で包んだ大きな氷を載せて各家庭へ配達して回っていました。木の冷蔵庫で上が氷を入れる氷室で、下の部屋に食べ物を入れて冷やしていました。小さな冷蔵庫でしたので大きな氷を三貫目か四貫目の大きさに氷ノコ(目立の歯の大きなもの)で切り、氷バサミで挟んで各家庭へ運んでおりました。町で冷蔵庫のある家は何軒もなく、あとは商売屋さんが配達先のお得意さんでした。一般家庭で冷蔵庫のある家庭はお金のある家でした。商売屋では「甘味喫茶」和菓子屋さんが多かったです。

最初の頃は大工さんが使うカンナの大きなものを四足の付いた台の上に据え付けてそのカンナの上に氷を載せて削ったのです。 関東風は容器にシロップを入れて氷を載せ、関西風は氷の上からシロップをかけると云われています。でも、今では下にシロップ、上からもシロップで、ぜいたくになりました。

今は全て電動式のかき氷機で作られています。氷の削る密度が雪のような細かさになり昔のような荒削りではなくなりました。

私の家で母が作ってくれたかき氷は「スイ」と呼ばれていました。「砂糖500gと水1㍑で火にかけて砂糖を溶かしたもの」と氷の固まりを手拭いに包み摺子木(多くは山椒の木で作る)でまな板の上でタタキ「今のガリガリ君」のような氷の粒を作って「スイ」をかけて食べさせてくれました。夏の暑い時に来客に白砂糖か「スイ」をかけるかしてもてなしてました。砂糖の場合は深皿を使っていました。白砂糖も氷も、それはそれは当時では大切なものでした。 現代は、あまりにもぜい沢になり過ぎて素朴な食べ物の美味しさがなくなってきているようです。体調崩さぬようお元気で

仙成こと杉山六郎

第259号平成25年8月13日