第142回 千住宿と投師(ナゲシ)

皆様は江戸四宿の一つ千住宿を歩いたことがありますか。

日本橋を起点として江戸幕府が定めた五街道のうちの奥州街道・日光街道のニ街道が通っている宿場です。

千住宿の最初の指定(1625)には南千住「小塚原」は含まれていませんでした。が、利用者が増えたので(1660)に千住宿に加宿されました。南千住「江戸、町奉行支配地」を立ち千住大橋(1594)を渡ると橋戸「関八州代官支配地」となり法制度が変わります。次は河原町「やっちゃば)で「私設市場」です。掃部土手「現在の墨堤通り)を過ぎると角に大きなお寺の源長寺があり、ここから掃部宿です。この土地は千住大橋を架設する時に伊奈氏と一緒に協力した石出氏が荒地を開拓して作った土地です。この

掃部宿を過ぎると熊谷土手です。(現在、千住警察署前の大フミキリのある大通り)これを渡ると千住一丁目(旧足立区役所があった。現在は芸術センタービル)を次に進むと千住ニ丁目(千住宿一番の賑わいみるJR北千住駅前通り、イトーヨーカドー発祥地です)、千住三丁目は明治天皇が東北旅行の時によられた本陣中田屋がありました。三丁目氷川神社には松尾芭蕉の記念句があります。千住四丁目に入りますとからたち寺の長円寺、その隣りが「大のぼり」で有名な四丁目氷川神社があります。旧道に面して安政の頃の建物の「紙問屋」横山家とその前に「絵馬屋)吉田屋があります。千住五丁目に入ってすぐ右に曲がると水戸佐倉街道、少し前へ行くと左斜めの道が奥州街道日光街道、まっすぐ進んで行くです。道が下妻流山街道です。名倉医院の前を50m程直進すると荒川放水路(明治44年から昭和5年までかかった大運河)の土手にぶつかります。

ダラダラと千住宿の道程を書きましたが、ぜひ南千住から北千住(北千住の地名は全て千住です。JRの駅名のみで、あとは北千住と名乗りません。)を歩いてみてください。歴史の面白さが判ります。

大橋(隅田川にかかっている橋で、昭和2年に鉄製となり下り専用で、上り線は昭和47年に出来て現在は二本になっています。)を渡ると右側に都足立市場(昭和16年開設)があります。現在は魚類専門です。左側が現在の日光街道(大正年間に開通)四号線です。旧道に入るとすぐ京成線(上野から成田)のガードがあり、このあたりが「やっちゃば」です。店の前に昔の営業取扱い業務が書かれた看板が立っています。ほとんどが青果問屋、川魚問屋、水菓子問屋などで千住ネギ問屋は現在もセリ市が立っています。その中ある投師(ナゲシ)とはなんの商売屋であったか、今度、千住宿歩きの時に注意して調べてみてください。投師の商売が成り立ったのはなぜか、また「しり押し屋」とは何かいろいろな職業があったのですね。

大変な暑さが続いてます。体調を崩さぬようお気をつけて下さいまして元気にこの

夏を乗り越えましょう。

いろいろと皆様にはお世話になりました。心よりありがとうございましたとお礼申し上げます。

仙成こと杉山六郎

すまいるたうん第256号平成25年7月13日