第140回 命をつなぐ食物を大切に

暑かったり、寒かったりと気温の変化が激しく体調を崩す人が多いようです。農作物の被害が心配です。現代はお金さえ出せば色々な食物が直ぐに手に入るため、明日の食べ物の心配をしなくても生活ができるようになりました。

先日、ある会合で食料不足が話題になりましたが、明日の食事に欠く事のない時代の人々で食糧難の話にはのってきませんでした。私が食べてきた大根めしや菜っぱめし、芋めし等の話をしても実感がわかないようでした。大根めしは、米の何倍もの量の大根を細かくきざんで入れて炊きます。芋めしも米は少なくサツマイモやじゃが芋を小さくきざんだ物を入れて主食のご飯の代用食といわれたものです。戦前戦後の時代は代用食が主で「銀シャリ」と言われた白米だけのご飯を朝昼晩と三度食べていた家庭は、ほとんどなかったのです。

歴史書を調べてみますと、平安時代から現代まで気候の変動でコメの生産が不足した時、そのつど飢饉のために何万人という死者が発生しています。室町時代の1428年1430年1441年1444年等にしょっちゅう飢饉が発生しています。近年の江戸時代では有名な1732年(享保)1783年(天明)1832年1836年1840年(天保)と連年で飢饉が発生しました。東北地方は冷害と長雨で関西地方は旱魃と害虫の大量発生による被害が多く多数の死者を出しています。

JR北千住駅西口を出るとすぐ左側にある金蔵寺(コンゾウジ)には、千住宿の有志が建てた天保の大飢饉の慰霊塔があります。幕府の調査では空前の凶作が続き作柄は四分作か三分作であったと報告されています。慰霊塔には「天保八年下民に食なし この地に死せる者828人」ときざまれています。旧日光道を挟んで金蔵寺の向こう側にある勝専寺にも漢文体の供養搭があります。当時、生まれ故郷を捨て食を求めて江戸をめざし旅をしてきた人々が江戸の入口の一歩手前で命が絶えて死んでしまった悲惨な記録が残っています。金蔵寺の入口を入るとすぐ左手に大きな石碑が立っています。

千住宿の人々の優しい心そして食べることの重みを感じてみてください。

天災による飢饉が多いのですが、その時の行政のあり方によっても起こっている飢饉もあるのです。太平洋戦争の敗戦から68年、平和が続き豊かな生活が送れるようになり、物を大切にする精神が薄れてきています。必ず、物に困る時がやってきます。無駄のない日常生活を心がけて毎日の暮らしを送っていけるように小さい子どもの時からシツケていきましょう。現代の人々は備えることを忘れている人が多いようですが、備えあれば憂いなしです。「あると思うな親と金」昔も今も変わりあるませんね。

ではまた。すまいるたうん第250号平成25年 5月13日