第132回 崩壊を速めている今の生活

コツ通り延命地蔵再興にご協力くださいました皆様、ありがとうございました。昨年3月11日東日本大震災で破損したコツ通り延命寺のお地蔵さま(1741年建立)の修復工事が先月中に終了し、また元のお姿になりました。11月には開眼供養の式典を行う予定です。皆様のご参拝をお待ちしております。以上を報告致します。

さて、ニホンカワウソが日本の国から絶滅してしまったと先日の各新聞社が報道しておりました。

南千住の汐入では、明治末までカワウソが生息していた記録が残されています。明治40年頃まで、汐入村の鎮守さまである大六天「胡録神社」の祭礼の前夜にはカワウソ狩りが毎年行われたと記録されています。

大正時代に入るまで汐入村では、千住大橋の上流西から東に流れている川が、今の千住汐入大橋を過ぎると直角に曲がり浅草の言問橋の方へ南下していた為に汐入側に大きな寄洲ができ、広大なアシの原が一面に広がっていました。多く残されている明治期の写真や地図を見てもカワウソが生息していたと思われます。カワウソの皮が欲しくて行ったのではないかと思いますが、どのような方法で狩りをしたのでしょうか。

カワウソ狩りは祭りの本番に備えるための参加者(若者が多く中心を構成)全員一致団結の行動だったかもしれないと思うと興味が尽きません。

大昔からカワウソは、尾で支えながら後ろ脚で直立している姿は、人の姿や河童、女性の幽霊に見られたりしてました。 川と魚と川辺の人々との暮しの中で愛嬌のあるカワウソは仲良く生存していたのでしょう。

しかし、人が川を汚染して魚を減少させ、川岸の土手は無くなり、寄洲は埋立てられコンクリートの護岸となりカワウソが生息できなくなりました。

昭和に入ってから隅田川は、一挙に汚くなり、昭和16年には水練場「練武館」も荒川放水路に移転してしまい、30年代にはドブ川となって悪臭を放ち生物の住めない川となってしまいました。

江戸時代では、川を生活の基盤と考えて、中小河川を縦横に作り、川を道路として船を大小の自動車と位置付け活用して公害のない無駄のない生活を送ってました。

しかし、現代では道路と自動車を生活の基盤と考え、より効率よく速く大量に合理的に全て考えるようになりました。その結果、放射能というオバケを生み出して人々を何十年単位で苦しめていくことになりました。

江戸時代265年にわたり、鎖国政策をとっていたので、ほとんど輸入に頼らず自国生産物で生活していました。しかし、今の日本人は私を含めてどっぷりと輸入品に頼りゼイタク三昧してます。食料だけでも年間9千万トン以上輸入しており、そのうち2千万トンが捨てられています。

私は立場上、コンビニの事務所に行きますが賞味期限2時間前になると全て廃棄処分です。従業員にも無料であげられないそうです。衣類も同じです。

明治・大正の新聞記事には隅田川で人と自然と対峙し、それを楽しみに利用し、生活を豊かにしていたことがうかがえます。

水と森を大切にしないと大変なことになると思っています。

すまいるたうん第226号平成24年9月13日