第120回 南千住のシンボル延命地蔵尊

九月三日(土)コツ通りと日光街道の交わる先にある日蓮宗・真養寺にて第23回南千住の歴史を親しむ会の主催で「コツ通りの歴史を考える小塚原と延命地蔵尊」をテーマとして、荒川ふるさと文化館の野尻かおる館長と亀川泰照主任学芸員と私の三人で講演を致しました。野尻先生が「小塚原の首切り地蔵(延命地蔵)が語るもの」を語り、亀川先生が「首切り地蔵の今昔・・その歩みと忘れられた横顔」を杉山六郎が「コツ通りの縁日の思い出」を講演しました。

入場者150名余を前にして夜7時から9時過ぎまで楽しく熱心に語り、参加者の皆様から大変なお褒めをいただき、またの期待を申されました。

その節にこのたびの3月11日の大地震で崩れてしまったお地蔵さまの再建資金600万円の募金をよびかけ、大勢の方々のご協力のをいただきまして本当にありがとうございました。今後も引き続き、お地蔵様の組立費用を調達し、所有者の延命寺「水野了尚」さんと我々地元のコツ通り商店街や町会も南千住のシンボルである歴史的文化財をみんなでこれから将来にわたって大切に守っていかなければなりません。

延命地蔵は、六甲山付近産出の花崗岩(みかげ石)で本体25個基壇8個の計33個の石の固まりで出来ていて、一切セメント等の接着剤は使用せず石工の技でクサビで上手に組み立てられてました。1741年に建てられた時の目的は、お地蔵様のあたりが江戸時代、南の鈴ヶ森お仕置場(首切り場)、北の小塚原お仕置場として罪人や無縁人の死体のお捨て場であった為、亡くなった人達(20万人以上)の供養の為に建てられました。木場・深川・大工町・本船町・横山町の民間の人々がお金を出し合い大阪西横堀の石工達によって造られました。(亀川先生調査)素晴らしい優しいお顔が現在地上に置いてありますのでご覧に行って下さい。 お地蔵様の前には3m余の日蓮宗のお題目搭が立っております。日蓮宗と浄土宗とが一緒に安置されております。ぜひ、現地にいらしてそのナゾ解きをしてください。 この搭は天下泰平国土安泰を願って建立したもので、みんなが戦争のない平和の世の中でありますように希望し願っていたのです。その左側に馬頭観音碑がまつられています。南千住三丁目にもありますし、尾久の原にもあります。なぜ、あるのか調べるのも楽しみの一つです。

また、その右側にお百度石が建っています。安産と子育てを願って神仏にお願いする行為です。百回参りの標識で寺社に参り、その境内の入口から百度、石からの距離を百回往復し、そのつど拝礼をして頼みごとを叶えてもらえるように心を込めて同じ所を幾度となく繰り返すのです。前の時代では子どもを授かることは大変なことだったのです。母親や子どもの死亡率が高く、また医者代や薬代も高額で手に入らず、ただひたすら神仏に頼るより生きる道がなかったのです。

こんな幸せな時代になったのになぜ、子ども達を殺すのですか。親の意に反するからと言って虐待するのですか。子どもはみんな天使です。母親の育て方ひとつで善にもなり悪にもなるのです。子どものことを考えて下さい。        仙成こと杉山六郎

すまいるたうん第190号 平成23年9月13日