第117回 自然との共生

天王さまの祭礼の時期になると。そら豆を思い出し八百屋の店頭で少量のそら豆を買って帰り、ゆでて食べています。

子供の頃、父親が「そら豆のツメの黒いのはだめだぞ」と言っていたのを思い出します。母は、いつも青いツメのそら豆を食卓に載せていました。そら豆とキヌカツギ(里芋の小芋)も父の大好物でした。塩を少し付けて「つるん」と口の中に入れ美味しそうに食べていた姿が目に浮かんで来ます。 遠い昔のことを思うことは自分自身が老人になってきたんだと考えてしまいます。私の妻もそら豆が大好きでした。妻は、サヤから取り出すのが、すごく早くて私など到底、足元にも及ばない程さすが八百屋の娘だと感心したものです。

しかし、その妻も脳梗塞で倒れて寝たきりとなり、早四年の歳月が過ぎ去ろうとしています。

私は一人の生活にまだ慣れず、淋しくて淋しくて悲しさを感じています。

一人暮らしの同年代の女性の方々に「慣れてくるから」と良く言われますが、私は、まだだめです。特に一人で食事をしていると無性に淋しさにおそわれて来ます。

三月十一日の東北大震災にあわれた方々の苦しみや悲しみや淋しさ、さぞやと思うばかりです。

日本人の精神の根底は縄文の昔から自然の太陽や月・草・木・水・石などに神(霊)が存在し、人間と共に生きていくとの考えが続いていました。

しかし、近代西洋文明は自然を人間の力で使いこなせると考えて現代の生活に進んできているので、これを後戻りさせるのは難しいと思います。これから、どう自然を使いこなせる技術を開発していくのかを考えていかねばなりません。

今年の天王さまの祭礼は三年に一度の大祭でしたが中止とすることになりましたが、各町内の氏子祭は実行することになりました。

しかし、祭礼実行委員会のトップの方々の意見の統一が出来ず、氏神さまの行事であることを忘れ、中止だ、いや中止でないと商店街のイベント行事のような考え方が主流となって今回の状況となり、私は残念でなりません。町内の氏子の皆様にも申し訳ないし、子供たちの祭の楽しさを奪ってしまう結果となってしまいました。

西洋的な合理性ではなく東洋的な神秘性で千二百余念も面々と続いている伝承文化を考えて頂きたかったです。

仙成こと杉山六郎

すまいるたうん第181号 平成23年 6月13日