第116回 神と仏と祭

今年の地元天王様の三年に一度の大祭「神社大御輿の巡行」が4月3日の十四ヶ町役員会(各町内の総代と大若会長)で中止が決定致しましたが、毎年の例祭(各町内の御輿を渡行する)は行って町の氏子の方々の厄払いをするべきであるとの意見も出て現在話し合いの最中です。

十四ヶ町とは天王様(小塚原牛頭天王社祭神は天照大神の弟の素盞雄命と飛鳥権現祭神は、大国主命の弟の事代主命の二祭神)を奉仕している町々で瑞光睦・奈哥睦・諏訪睦・若宮睦・志茂睦・上町睦・二丁目睦を宮元七ヶ町といい、通新睦・河原崎睦・新開睦・箕里睦・東三の輪睦・六本睦の七ヶ町とで十四ヶ町と言われています。

昔はオギャと生れた土地の鎮守の神様が氏神様で氏神様はその子の一生の厄を払ってくれお守りをしてくれる神様だと大切にされてきました。

神は人間を超越した威力者でめいめいの間に存在して不可思議な能力を有し人類に禍福を降ろすと考えられ畏怖されている霊であると言われています。祭礼は御輿にご神体(霊)を乗せ氏子の住む町のすみずみまで厄を払い福を来させるように御輿を振り払いながら渡行して歩くのです。

しかし、今年は各町々で中止となり私としては残念でなりません。子供達に楽しい思い出づくりをさせてやりたかったのです。

ある雑誌の統計では日本人の8割強の人が神社仏閣に初詣に出かけ、お盆には檀家寺に墓参りに行くと書かれていました。

しかし、その参拝する多くの方々は、その神社の名前も知らず、自分の寺のご本尊の名前も知らないのが普通ですね。でも、神や仏は人間の禍福をつかさどる計り知れない力を持っていることは判っているので神社や仏閣に色々な祈願をします。その内容は色々とあり、商売繁盛・開運厄除・家内安全・必勝祈願など厄を除いてもらって幸運が開けてくれることを人々は強く願っているのです。

厄とは、災厄であり悩みであり苦しみであり生きている以上避けることはできないです。個人としては、病気や事故による肉体的苦しみであり、社会的には戦争や不景気、自然としては地震や津波や火災など次々と新しい厄が出てきて厄除けの願いは減らないですね。

厄と運とは並んでついて来るものです。運も厄も人間の人知人力ではどうしようも出来ないから、人の知力を超えた力のあるものの力を借りること、それが厄除けの願いであり、開運の願いとなるのです。

しかし、現代の日本人の8割弱の人々は神も仏も信じないといわれております。でも、神様を仏様を信じて下さい。「かたじけなさに涙こぼれる」ですから。

南千住の鎮守は素盞雄神社・三河島の鎮守は宮地稲荷神社・町屋の鎮守は原稲荷神社・尾久の鎮守は八幡神社・日暮里の鎮守は諏方神社で、その他に南千住の汐入の鎮守は大六天「胡録神社」で橋場の鎮守が石浜神社、日枝神社は中村町の鎮守でした。

奈良時代から神道と仏教が融合していたのですが、明治元年(1868)の神仏分離令によって廃仏毀釈運動が起り、寺院や仏像が焼かれたり売却され文化財が無くなりましたね。

まいたうん178号平成23年5月13発行