第113回 急激に変わる生活様式

2月3日の素盞雄神社(天王様)で節分の豆まきが3時から4時半まで30分ごとに4回行われました。晴天に恵まれ、大勢の子供や大人が参加され大変なにぎわいを見せていました。拝殿の回廊から年男年女(どなたでも参加可「有料」)が、危険のないお菓子やおもちゃやカップラーメン等を豆と一緒に撒きました。私も4時の行事に参加致しましたが、集まってこられた方々の楽しく明るい笑顔を見たら「毎年、続けられたらいいな」と思いました。お手伝いの地元の人達にも感謝の気持ちでいっぱいでした。

昔は、各家々から夜になると「鬼は外、福は内」の掛け声が方々から聞こえてきましたが、今は聞こえて来ません。豆まきをする家庭がなくなってきたのですね。

2日の夜、八百屋さんの店頭を通りましたらヒイラギ(葉に鋭いトゲがありその枝にイワシの頭を刺しトゲの痛さとイワシのにおいとで鬼を追い払うという風習がありました)が、あんなに売れ残っていることは各家庭で行事が行われていないということで、また一つ古い習慣が無くなったと実感しました。

豆まきの大豆で思い出しましたが、以前コツ通り商店街の素盞雄神社寄りの所に大きな「大和味噌」という味噌会社があり、味噌を作っていました。しかし、今はありません。

朝ご飯は飯と味噌汁(内味は、豆腐・大根の千切り・ワカメ・ネギ等)で、朝目覚めると味噌汁のにおいが台所から漂って来て幸せな気持ちになったものです。

「朝めしはガッチリ食べろ」と親に言われて育ちましたが、先日の報道で調査した4千人のうち75%の人が、朝飯抜きだそです。糖尿病の予備軍だと医者は言ってますが、朝飯を食べた方々もパンや菓子のみで済ませており、米・大豆・野菜に関係無い食事でした。

江戸時代中期になると精米技術が発達して白米を食べるようになりました。江戸人には、ご飯の白、大根の白、豆腐の白が定番でこれを「江戸の三白」と言われていました。

ところが、このころから参勤交替(交代)で江戸に出て来た地方の方が江戸病(エドワズライ)と言う病気になり、お国に帰ると治ってしまう。ハテ、なぜでしょうか?

答えはビタミンB1の不足による脚気(カッケ)です。玄米を精白すると「ぬか」が出ます。その中にビタミンB1入っているためです。でも、江戸の人々はその「ぬか」で漬物を作り出し、色々のぬか漬け野菜(汐入大根・亀戸大根・ナス・キュウリ・人参)を食べていました。ぬか漬けは毎日夜に漬け早ければ翌朝には食卓にのせます。塩分も少量で済み、おかずとしても立派なものです。

大根は生で食べられるので、咳や頭痛の薬として或いは毒消しの効果があるとして重宝され、大いに食べられていました。今でも大根おろしが、あらゆる物に添えられていますが、薬味だけでなく毒消しの効果としてのことです。

私の母はよくご飯を炊く時は、「始めチョロチョロなかパッパ、ジュージュー噴いたら火をひいて赤子泣いてもフタ取るな」と教えてくれましたが、現在は炊飯器が全てやってくれるので覚える必要のないものになってしまいました。       仙成こと杉山六郎

すまいるたうん第169号

平成23年2月13日