第111回 無縁社会の続き

12月13日(月)にJR南千住駅前アクレスティ南千住ビル内のふれあい館で「南千住の一口」第二話の講演をすることになり、テーマが「小塚原お仕置場」の話と決定し、人間の命が断れる時命の消えていく時のこと等考えました。

私の子供時代、昭和15年のころ、南千住では葬式は、ほとんどが家で営まれ、地域協同体として檀那寺の僧侶も一緒に町内の役員と共に葬式の差配をしたものです。知らせを受けた僧侶が死者の枕元

で枕経をあげて遺族や隣組役員など関係者が集って葬式の段取りを決めたのですが、現在は葬儀業者が全てまかないますが、多くの遺族の方は初めて会って頼む葬祭業者ばかりです。

最近、私の家の近くであった葬儀は、一切葬儀業者が取り仕切り隣り近所の人はもちろん、町内役員も手出し無用で受付から香典の受け取り・精算受け渡しを全て斎場内で終わらせてしまうケースでした。故人との関わりが深くいろいろとお手伝いしたいと思っていた近所の人が沢山いらしたのですが、残念でした。

平成12年以後、自宅で葬式をする家庭は0.8%位になってしまったとのこと。

更に病院で亡くなった遺体は自宅に戻らず、すぐに病院から斎場の保冷室へ直行するケースが多くなってきました。全て合理的にスピーディに早く終わるようにと今は告別式のあと、すぐ初七日の式まで済ませてしまうのです。

昔は、隣り近所のご婦人達がお通夜の食べ物を近所の商店で必要な品物を大福帳(金銭出納帳)(現金を持たずに買物が出来た)を持って買い集め料理を作ったので八百屋・魚屋・酒屋・すし屋・菓子屋(葬式に集まった子供達に菓子をあげた)・花屋・乾物屋(缶詰の花環を作る)・ちょうちん屋(葬儀用の花環を作る)・衣料品屋(手伝いの婦人達の割烹着や手拭い)このように多くの商売屋が関わったたので葬式が地域に大変な経済効果をもたらしてくれたのです。

また、寺との関係で葬式の戒名料及び費用や法事や納骨など寺がその家の事情を色々と考え安く執り行ってくれました。

今は商売上手になり高いお経料や法名料を支払うようになってきた為、払う方は明朗会計にしてほしいという声が強くなり先ごろ、大手スーパーのイオンが葬儀斡旋業「葬儀屋」を始め、目安の値段を公表した為に仏教会の反対にあい、撤去する事件がありました。

昔のお寺さんは、その家の事情に合わせ不幸に遭い悲しみに暮れている遺族の精神的経済的な声を聞いてくれ、葬儀屋と遺族との仲立ちとなり死者を送り出してくれたものです。

現状は、葬儀に金がかかり墓のない遺族はそれを手に入れる為に、また高額の金を払わねばならない為、安い費用で行えないかと考えているようです。

先般のご近所で孤独死された方のお骨を血縁者が引取りを拒否されたと聞いてます。

小塚原回向院のお仕置き場の無縁仏の多いのも昔も今と変わらず、地方から江戸に出て来て行き倒れになってしまい投げ込まれてましたのでしょうか。

おびただしい骨が哀れを感じさせます。

仙成こと杉山六郎

すまいるたうん第163号

平成22年 12月13日