第103回砂利(じゃり)(ぼね)さま

江戸時代の人々は、よく歩いた。脳の活性化に非常に良く四季折々物見遊山に出かけていたわけで、四月四日(日)に昔から汐入村「現南千住八丁目」と隅田村「現墨田二丁目」にあった砂利骨さまを見に、桜は満開なのに真冬のような寒さの中ブルブル震えながらの町歩きとなり、私は何十年振りで風邪を引いてしまいました。

隅田川と綾瀬川とが合流し、大きくカーブするところに寄州土砂が吹き寄せられ貯まって自然に出来る砂地の浅瀬が出来てそこに流れついた人骨を、村の人達が石碑を建て代々大切に供養してきたのが砂利骨さまです。行方不明であった汐入村の砂利骨さまの所在が判りましたので参加者10名でスタート。お化けエントツ発祥の地、浅野セメント工場跡地を見て砂尾土手の桜並木を通りメトロ貨車区の桜を見て汐入土手の桜並木の道へと進みました。川の流れと満開の桜土手、前方には高さ338mのスカイツリーをみながら水神橋「昭和60年製」と梅若橋を渡り、江戸の有名浮世絵師歌川(安藤)広重1797~1858年が残した有名な「名所江戸百景」安政3~5年にかけて描いた118枚の内の「水神の森」へ進む。徳川家8代将軍吉宗が享保2年(1717)に植えた「墨堤のさくら」が木母寺から言問橋まで続いて今が最高でした。

この周辺は風光明媚なところで広重の浮世絵には眞崎稲荷・石浜神社・関屋の里・橋場の渡し・綾瀬川鐘が淵内川の幕府御前栽畑など多く描かれてます。中世の頃、奥州街道は石浜から向島へ渡って奥州路へ向っていき、石浜港には沢山の外国船が入港し

賑わいを見せた土地です。徳川家康によって隅田川に大橋が最初に掛けられ奥州街道は千住を通るようになったのです。水神の森の周辺には大名や豪商の別荘が建ち並び、明治に入ると華族や文人の別荘が河岸に並び、それらに伴って「八百松」「甲子屋」「植半」等の有名な料理屋が軒を連ね、今でも三業地として芸妓さんの接待が受けられイキな景観を呈しています。隅田村の砂利骨さまを参拝して隅田川七福神のスタート地の多聞寺へ行き参拝とトイレ休憩。どこも花々できれいでした。土手には花ニラや菜の花が群生して咲き乱れ、きれいな風景をかもし出していました。

カネボウ発祥の地、今は「花王カネボウ化粧品工場」を通り過ぎ、満開の桜の木が沢山ある鐘が淵中学校へ。東京リハビリ病院前から水神橋を渡り、橋の上から景観を眺めながら終わりました。

ぜひ歩いてみたいとお思いの方はご参加下さい。無料です。但し、最後に運だめしの抽選会と頭の体操の五七五で句を希望する方に書いていただいてます。一年経ったら冊子を作りたいので皆で歩きましょう。

我が町には知らない道や場所が沢山あって驚きますよ。ボケない為に足を使って脳を使って一句作り(強制はしません)目標を立て土地のうまいもの探しや歴史など勉強しましょう。二、三時間のコースです。皆でおしゃべりしている内に過ぎてしまいます。途中で帰っても自由です。歩くことをお勧めします。 仙成こと杉山六郎

すまいるたうん第139号 平成22年3月13日