第16回 隅田川の洪水と荒川放水路

先日、お知らせしたコツ通りの石井質屋さんの恵比寿大黒天は、千住大橋が鉄橋に造り変わった昭和2年(1927)の完成式典の時に来賓に配られた引き出物でした。北千住の旧家の織畑さんにもあるそうです。

隅田川の洪水は明治から大正までに32回災禍をもたらしています。

なかでも明治18年(1885)には千住大橋が流出していますし、明治40年と明治43年の被害は未曾有のものでした。

明治43年8月12日の「東京朝日新聞」は朝5時より大川の流れ猛烈となり、南千住はまたたくうちに増水し、深さ腹まで達す」と報道し、そのときの被害は30万人の人家が濁流に沈み150万人の被災者を出したと記録されています。このため明治44年(1911)より荒川放水路の工事が始まり、大正13年(1924)の完成まで14年間の歳月と工費5314万円、延べ労働者310万人を動員しています。

また、多くの人々(水路を作るために生活圏を放棄させられた人)の犠牲の上で江戸時代以来の水害が無くなり、南千住の工業地としての発展があるのです。

しかし、汐入の船の荷降の為のドッグ(水路)がいくつもありましたので、戦後も22年のキャサリン台風・23年のアイオン・24年のキティ台風・26年のルース台風で、再び南千住は床上浸水に見舞われました。

特にキティ台風ではコツ通りでも私が立って歩けないほどの増水で屋根瓦や堀等が流され、大フミキリから薪がどんどんと天王様の方へ向って流れていく風景を今でもはっきり覚えています。

これを契機として高潮防御施設のスーパー堤防が昭和30年代に完成したのです。

でも、今は親水公園として水辺で魚釣りや水に親しめるよう人間に優しい堤防に造り変えられ、ウォーキングや散歩など心をなごませる場となってきました。非常に良いことと思っています。

コツ通り商店街でも9月に釣り大会を行い、ハゼ・コイ・フナ・スズキ・ぼら・ウナギなど釣れました。

皆さんも来年は参加して下さい。

まいたうん34号(2001年11月20日発行)