第107回 町歩きを変えます
先日、暑い日差し中「江戸時代からの日本一の歓楽街を見て学習したい」との要望で台東区吉原「千束四丁目、三丁目」へと足を運びました。
南千住駅を出発し、土手沿いに三の輪方面へ。コジキガードを抜けてパン屋の永楽堂の前を通り、三の輪橋へ。音無川(今は暗渠になっている)を山谷堀へと進み淨閉寺で吉原遊女慰霊塔をお参り学習して
一路、日本堤を浅草方面へ。天ぷら屋の伊勢屋・けっとばし屋の中江(ともに明治23年(1890)創業の有名飲食店の前を通り、衣紋坂の見返り柳へ到着。 吉原大門の表示があるが、昔は衣紋坂の終わりに吉原唯一の出入口大門(板葺き屋根つきの冠木門があり、門を入ると左手が番所(町奉行の同心と岡引きが常駐し)左手には会所(吉原の番人が遊女の逃亡を監見していた。大門入って中央が仲の町と言われていたメイン通りで右側手前から江戸町一丁目・揚屋町・京町一丁目、左側手前から伏見町(江戸市中で売春をしていた女性を検挙して住まわせて営業させた所)・次が、江戸町二丁目・角町・京町二丁目と並び周囲を幅2間の御歯黒溝(鉄漿溝)と2m余の高堀をめぐらせ総坪数二万坪遊女三千人、日常生活に従事する人が一万人を有する町で江戸町人文化が花開いた所です。仲の町をまっすぐ行くと、昔は火防の神である秋葉権現を祀った常夜燈と火見槽が水道尻(吉原の下水が集まる所)にあり非常時の出入口(跳橋になっていた)がありました。
現在は吉原神社があり、その先が吉原病院(今はリハビリ病院)があり、左手に行くと弁天池、関東大震災で大勢焼死した遊女を弔う供養搭や吉原起源の庄司甚右衛門の碑等を学習し、鷲神社の(酉の日の熊手で有名)を参拝し飛不動ときれいになった一葉記念館(入場料300円)へ。
竜泉寺の名物「田舎まんじゅう」を食べてから、また土手へ戻り南千住二丁目へ。浪花屋の「あづきアイス」を食べ渡線橋(跨線橋)の上でスカイツリーを見物しました。お仕置場、延命寺・回向院を巡ってから、お茶を飲みながら私の店で今日の町歩きの質問等の話をしました。
その中で昔江戸時代の風俗と現在の風俗(吉原のソープランド)の話になり、男の性、女の性、現在の性病の蔓延・性犯罪の多発は、昭和33年4月1日から売春法により350年の歴史ある遊郭が無くなり、地下にもぐったのが良くなかったのではという意見やキチット性教育が出来る公の場所があった方が良いのではないか(女性が自分の意思で商売に入る)等の意見がありました。
最近は店舗型より電話による出張型へと移行しているとのことです。時間が経つのを忘れる程の話合いができました。
今後は史跡だけを見て歩くのではなく、見たり、聞いたり、食べたり、話したり、楽しい場を沢山設けて月一回位町歩きをやって行きたいと思っています。一人で運営していますので十名以内で行っています。町歩き終了後、参加者に俳句又は川柳を希望者に書いてもらっています。一年過ぎたら小冊子にしてお配りしたいと思っています。歩くことは大切です。句を作ることも頭の体操で良いですよ。時間が合えばご参加下さい。 仙成こと杉山六郎 第151号すまいるたうん平成22年 8月13日